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昨日、葬儀が終わりました。
大体のことも今日であらかた片付けることが出来たと思います。
大体のことも今日であらかた片付けることが出来たと思います。
とは言っても、まだまだいろいろ残ってはいますが。
心に決めた、せめても葬儀が終わるまでは泣かずに強くある、という決意はある程度は達せられたと思います。
涙ぐむ、位は許容範囲だと思います。
というか、姉が過呼吸起こすレベルで泣きじゃくったので、ある程度冷静になれたんだと思います。
冷静になる、心に余裕を作るってのは、自分の感情、心を隅へ押しやれば割と簡単に出来るということがわかりました。
精神衛生上よくないとは、わかってますが。
さて、さっき、夕飯を食べました。
この四日間、ほとんど何も食べていなかったのですが、空腹というものを感じられませんでした。むしろ、おなかはグーグーなっているのに、食べると吐き気がするほど満腹感のようなものに包まれている。
わけのわからない状態でした。
ばあちゃんからよく聞かされていた言葉、そして今では僕の口癖になってしまった言葉。
「食べることは幸せ」
その意味が改めてわかった気もします。
辛い、という感情が消えるのではなく、笑っていても、怒っていても片隅に「辛い」という感情がずっとあります。
家に帰れば笑顔でいてくれる、という当たり前が、いないという当たり前になるのを自然に受け入れられるのはどれくらい先なのかわかりません。
僕は、生まれて20年以上、ばあちゃんの愛が、笑顔が、どこにもない世界に生きたことがありません。
無条件に笑ってくれた、愛してくれた、心配してくれたばあちゃんがいない世界を、僕は知らない……!!
それでも、僕は生きています。ばあちゃんのいなくなったこの世界に生きています。
ばあちゃんが愛してくれた僕だからこそ、生きていかなくてはならない、と思います。
ばあちゃんが笑いかけてくれた僕が、この世界で誰かに笑いかけていきたいと思い、生きていきたいと思います。
ご心配のお言葉を頂いた皆様、励ましのお言葉を頂いた皆様、ありがとうございました。
どこかで会った時には、いつも通りの僕でいたいと思います。
いつも通りの僕に、いつも通りに笑ってください。怒ってください。心配してください。しゃべってください。
僕は、ばあちゃんの孫なのだから、ばあちゃんの優しさを、強さを、暖かさを抱いて、今日を、明日を明後日を過ごして生きたいと思います。
心に決めた、せめても葬儀が終わるまでは泣かずに強くある、という決意はある程度は達せられたと思います。
涙ぐむ、位は許容範囲だと思います。
というか、姉が過呼吸起こすレベルで泣きじゃくったので、ある程度冷静になれたんだと思います。
冷静になる、心に余裕を作るってのは、自分の感情、心を隅へ押しやれば割と簡単に出来るということがわかりました。
精神衛生上よくないとは、わかってますが。
さて、さっき、夕飯を食べました。
この四日間、ほとんど何も食べていなかったのですが、空腹というものを感じられませんでした。むしろ、おなかはグーグーなっているのに、食べると吐き気がするほど満腹感のようなものに包まれている。
わけのわからない状態でした。
ばあちゃんからよく聞かされていた言葉、そして今では僕の口癖になってしまった言葉。
「食べることは幸せ」
その意味が改めてわかった気もします。
辛い、という感情が消えるのではなく、笑っていても、怒っていても片隅に「辛い」という感情がずっとあります。
家に帰れば笑顔でいてくれる、という当たり前が、いないという当たり前になるのを自然に受け入れられるのはどれくらい先なのかわかりません。
僕は、生まれて20年以上、ばあちゃんの愛が、笑顔が、どこにもない世界に生きたことがありません。
無条件に笑ってくれた、愛してくれた、心配してくれたばあちゃんがいない世界を、僕は知らない……!!
それでも、僕は生きています。ばあちゃんのいなくなったこの世界に生きています。
ばあちゃんが愛してくれた僕だからこそ、生きていかなくてはならない、と思います。
ばあちゃんが笑いかけてくれた僕が、この世界で誰かに笑いかけていきたいと思い、生きていきたいと思います。
ご心配のお言葉を頂いた皆様、励ましのお言葉を頂いた皆様、ありがとうございました。
どこかで会った時には、いつも通りの僕でいたいと思います。
いつも通りの僕に、いつも通りに笑ってください。怒ってください。心配してください。しゃべってください。
僕は、ばあちゃんの孫なのだから、ばあちゃんの優しさを、強さを、暖かさを抱いて、今日を、明日を明後日を過ごして生きたいと思います。
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